君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

小さくて新しいこと:休日に森林公園へ行く

日曜日の朝、床を拭きながらふと「森林公園へ行ってみようかな」と思いついた。

雲ひとつない、夏みたいに暑い日だった。一日をとおして初夏の陽気になるとラジオがいっている。絶好の森林公園日和だ。

けれども2秒後に「めんどくさい」「熱中症になる」「生理中だし」とネガティブが意義を申し立ててきた。

行きたくない。家にいたい。だけど思いついたことは無理やりにでも実行しないと、いろんな意味でおとろえていく気がする。

行く・行かないで2時間ほど押し問答して、「家にいたいのに」「しんどい」と文句をいいながらピクニックシートを持って家を出た。

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森林公園と銘打つだけあって、そのへんの雑木林とはわけがちがう。よく手入れされたプチ里山といった風情がある。

そんな場所があるなら散歩コースにぴったりじゃないかと、わたしも思う。だけど行って帰ってくるだけで小1時間もかかる場所へ毎日出かける気力もひまもない。

そのうえ週末は近隣の家族連れで混み合う。ただでさえ週末は気鬱になりやすい。完璧な家族連れだらけで埋まる場所で過ごすのは、なんとなく避けたいというのが正直なところでもあった。

* * *

ところで森林公園でなにをするか? これはばっちり決まっている。探索でもザリガニ採りでもなく、芝生に寝転ぶ、それだけ。

芝生広場にほどよい木陰を見つけたら、ピクニックシートをさっと広げる。それからごろんと横になる。

靴も靴下も脱ぎ散らかして、草の感触を足の裏でたしかめる。草はひんやり冷たい。クスノキの葉っぱが風にゆれて、木洩れ日がちらちら目に入る。

こういう心地を味わうために、人は生きてるのかもしれない。
そう思うくらい、気持ちよかった。

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空を眺めるのに飽きると本を読んで、本を読むのに飽きると、途中のスーパーで買ったいちごを食べた。

特売の小さないちごだったけれど、今年食べたなかで一等甘くておいしいいちごだった。

ちょっと物足りないと感じるくらいで、靴下と靴を履いてピクニックシートを畳む。

満足するまでその場にいたら、帰ったあとで疲れがどっと出るのを経験的に知っているからだ。

森林エリアをぐるっと回って、歩いて帰る。このときバスに乗らなかったのを、わたしはあとでめちゃくちゃ後悔することになる。

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生理2日目で、それでなくても疲れやすい。ことにその日は夏日だった。ちょっとやばいかもと思ったけれど、歯を食いしばって歩きつづけた。

帰ったらシャワーを浴びて、冷えた白ワインでも飲みつつ夕暮れを眺める……なんて妄想は吹きとんで、ソファに倒れ込んだ。

食欲がわかず、なにをする気にもなれず、夜までぼーっとテレビを眺めて過ごした。ひとことでいうと、最悪な気分だった。

わたしはよくよく理解した。数時間程度の外出さえも、体力がなければ楽しめないことを。わたしの体力が、ちょっとした外出にも耐えられないほどまでに低下していることを。

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芝生に寝転ぶ気持ちよさは、ほかに代えがたい。

あの心地を味わうために、性懲りもなく森林公園へ出かけたい。そしていつか、シャワーを浴びて冷えたワインを飲む、までのワンセットを実現したい。

というかそれが、理想的な休日の過ごしかただったのかもしれない。今さらだけど。