春だし、なにか新しいことがしたい。
意欲がどーんと高まって、ちょこまかと新しいことをはじめたのが、一年まえ。
今年もやっぱり、むずむずと新しいことをはじめたくなりました。
新しいことといっても、今回は生活改善や向上が目的ではありません。
ちょっとした好奇心を満たしたり、肩のちからを抜いて楽しんだり。
そんな「小さくて新しいこと」です。
そんなわけで、まずは夜にお菓子を焼いてみました。
きっかけは思いつき
夜中にとつぜん「お菓子を焼いてみようかな」と思いついたとき、なんてめんどくさいことを思いついちゃったんだと後悔しました。
わたしは思いつきを (なるべく) 実行するように心がけています。
自分との小さな約束ごとみたいなものですが、さすがにめんどくさかった。
それでもまあ、思いついちゃったわけだし、夜にお菓子を焼くってなんかいいな、ブログにだって書けるし……と思い直して、重い腰をあげました。
レシピは吉川文子さんの『バターを使わないパウンドケーキ』から、「チョコレートココアケーキ」を。
吉川文子さんのレシピはどれも手軽で、バターなしなのにほんとうにおいしくできます。めちゃくちゃおすすめ。
「迷惑かもしれない」
スコーンに目覚める前は、週末ごとにパウンドケーキを焼いていました。
食べるより作るのが好きで、あれこれ焼いては、職場や知り合いに配り歩く日々。
そのうちパッケージにもこだわりだして、ラベルのデザインを考案したり、乾燥剤を入れて個別包装したり。
渡した相手に商品と勘違いされるのに喜びを感じていました。
だけどお菓子を配り終え、満足しながら自席に戻ったとき、「実は迷惑かもしれない」という考えがふと浮かんで。
とくになにかを言われたわけじゃないし、迷惑そうな顔をされたのでもない。
でも実は、相手の負担になってるんじゃないか。
おいしい、お店みたいっていわれて、調子に乗って、ほんとうは迷惑なのに、それに気づかないでいるんじゃないか。
否定的な考えが止まらくなって、ひどい自己嫌悪におちいりました。
プレゼントが迷惑か、幸せの一助か、贈った側にはおしはかるすべがありません。
「もし迷惑だったら言ってほしい」といったところで、はっきり迷惑だというひとはまずいません。
「実は迷惑だったかもしれない」とあとで落ち込んで傷つくくらいなら、最初からプレゼントなんかしないほうがいい。
それからプレゼントを気軽に贈るのは避けるようになり、それとともに、パウンドケーキもだんだんと焼かなくなりました。
ひとつの幸せのかたち
パウンドケーキは材料を混ぜて焼くだけの簡単なお菓子です (生地を流し込む型を変えればマフィンになります)。
簡単なんだけど、焼き上がるとちゃんとお菓子の顔をしてる。努力が確実に報われるのが、お菓子づくりのいいところです。
お菓子づくりは、焼き上がりを待っている時間がいちばん楽しいかもしれません。
部屋にたちこめるチョコレートの匂い。オーブンをのぞくたびに膨らんでいくケーキ。子どもみたいにわくわくします。
ちーんとベルが鳴ったらオーブンから取り出して、竹串を刺して火の通りをチェック。
生焼けの生地がついてこなければ完成です。
きれいに焼き上がったお菓子を見ると、幸せな気分になります。
自分で焼いたお菓子を食べる。ささやかだけど、やっぱりひとつの幸せのかたちです。
* * *
おいしいパウンドケーキが焼けたから、あのひとに食べてもらいたい。
こんな気持ちがもし相手の迷惑になるのなら、それはもう、運命の相手ではなかった、それだけのことかもしれません。
「このひとこそ」と感じるひとと出会えたら、またいそいそとプレゼントしたいし、食べに来ない? って誘いたい。
ひととやさしくつながりたいという欲望はなくならないし、なくしたくない。
思いつきで焼いたパウンドケーキが、ちょっとしたリハビリになった夜でした。