お酒でまぎらそうとしても、ぜんぜん気がまぎれない。
ひとかたまりになった不安が、映画『エイリアン』みたいに胸を突き破って出てくるんじゃないかと思うくらい、すごい。
どれほど飲もうが、食おうが、気は晴れなかった。
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ただひとつ、ブログを書くのだけは気がまぎれた。
言いたいことが言い表せないやりきれなさ、あれやこれやの否定的な思いがわきあがってくるけど、ひとまず書いている瞬間だけは救われる。
書いたものが最終的にごみとなっても、なにも書かないでいるよりはマシだった。
だけどこれは、能動的な取り組みというより、かたちを変えた単なる「現実逃避」じゃないだろうか。
書くことで現実から逃げて、重要な判断を先送りしてるだけのような気がする。
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ところで、現実逃避はほんとうに悪なのだろうか。
人生は寝て起きて、食って出すだけのくり返しと考えたら、気がおかしくなる。
日々の小さな営みだけで満足できるほど、感覚的にも創造的にもなれない。
そんな人間が正気を保ちつづけるには、やっぱり、芸術の力が必要なのだと思う。
ブログを芸術とぶちかますつもりはないです。
でも、現実との境界線を踏んでる程度の感覚はあるかもしれない。
そもそも現実と芸術は、そうはっきりエリア分けされたものではなく、グラデーションであるように思う。
だって、だれにも「こっから芸術で、こっからは芸術でない」なんてきめられないから。
だとするなら、そのひとにとっての芸術とは、自分の心、あるは魂をどのくらい解放できるかの問題じゃないだろうか。
芸術も現実逃避もなしに生きるほうが、むしろ病的になっていく気がする。
そのようなわけで、今日も正気を保つためと、不安をまぎらすために書いています。
ほかに気をまぎらせられる事物が見つけられないだけといえば、それだけのことではあるのだけど。