君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

現実逃避と正気

お酒でまぎらそうとしても、ぜんぜん気がまぎれない。

ひとかたまりになった不安が、映画『エイリアン』みたいに胸を突き破って出てくるんじゃないかと思うくらい、すごい。

どれほど飲もうが、食おうが、気は晴れなかった。

* * *

ただひとつ、ブログを書くのだけは気がまぎれた。

言いたいことが言い表せないやりきれなさ、あれやこれやの否定的な思いがわきあがってくるけど、ひとまず書いている瞬間だけは救われる。

書いたものが最終的にごみとなっても、なにも書かないでいるよりはマシだった。

だけどこれは、能動的な取り組みというより、かたちを変えた単なる「現実逃避」じゃないだろうか。

書くことで現実から逃げて、重要な判断を先送りしてるだけのような気がする。

* * *

ところで、現実逃避はほんとうに悪なのだろうか。

人生は寝て起きて、食って出すだけのくり返しと考えたら、気がおかしくなる。

日々の小さな営みだけで満足できるほど、感覚的にも創造的にもなれない。

そんな人間が正気を保ちつづけるには、やっぱり、芸術の力が必要なのだと思う。

ブログを芸術とぶちかますつもりはないです。
でも、現実との境界線を踏んでる程度の感覚はあるかもしれない。

そもそも現実と芸術は、そうはっきりエリア分けされたものではなく、グラデーションであるように思う。

だって、だれにも「こっから芸術で、こっからは芸術でない」なんてきめられないから。

だとするなら、そのひとにとっての芸術とは、自分の心、あるは魂をどのくらい解放できるかの問題じゃないだろうか。

芸術も現実逃避もなしに生きるほうが、むしろ病的になっていく気がする。

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そのようなわけで、今日も正気を保つためと、不安をまぎらすために書いています。

ほかに気をまぎらせられる事物が見つけられないだけといえば、それだけのことではあるのだけど。