君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

もう恋なんてしない 〜K-POPは麻薬編

3ヶ月ほど前、偶然あるK-POPグループに出会った。

もう恋なんてしない2021 - 君は世界に一人だけ

正直、3ヶ月も経てば忘れると思ってた。
そう、そのとおり。
忘れるどころか、日ごと引きずり込まれている。

たしかに壮絶なイケメンだ、美のイデアだ、そいつは認める。だからってハマるわけにはいかない。いったんハマったら、なけなしの自由時間がむさぼり食われる。

降伏してたまるか。おれの人生はそんなもんのためにあるんじゃない。

毎夜そう決意を新たにしつつ、雑誌のグラビア (ばっくり空いた背中、羽のタトゥー、流し目) を毎夜じりじりと眺めていた。

麻薬としてのK-POP

こんな段階に達したら、ふつうならSNSを見る。YouTubeを徘徊する。沼におちる。

むかし、そうやってK-POPグループにころりとおちた。

あまりにも忙しくて、毎日疲れはてていて、人生でもっとも受動的だったとき、一本の動画をキッカケに毎夜YouTubeを見まくるようになった。

逆さ吊りにされ、食い物を口に押し込まれ、派手に吹き出す男たち。
芸人みたいな汚れ仕事を全力でやるバカが、だんだん、かわいくてしかたなくなった。

人生に疲れはてていても、死をそばに感じていても、その瞬間は心から笑えた。手ざわりのある「意味」のようなものを感じられた。

当時のわたしにとってK-POPは生命維持装置であり、精神内定剤であり、麻薬だった。

そのひとくちが豚のもと

あるライブを最後に、明確にファンをやめた。ファンをやめたとたん、これまでいかに時間をむだに浪費してきたかに気づいて悄然とした。

当時を思うと、いまも悔しくなる。

貴重な数年をK-POPに費やした結果がいまのわたしだ。

もともとなにもなかったけど、ほんとうになにもない、自分の意見も仮説もない、ほとんどからっぽみたいな人間になってしまった。

受動的な人生はもういやだ。だれになんといわれようと、二度とそんな人生を送りたくない。

わたしに必要なのはもっとべつの、意味のある何かだ。いや、意味より何より、能動的な人生を選択することだ。これはわたしの人生なのだ。

こんな経緯から、くだんのK-POPグループにたいして「SNSYouTubeのたぐいは一切見ない」と決意したのも、お分かりいただけると思う。

極端に聞こえるかもしれない。でもひとが堕ちるのはあっという間だ。

「そのひとくちが豚のもと」、中学時代の部活仲間が言っていた。
最初のひとくちさえ食べなければ、わたしはわたしを保っていられる。

自分がかわいそうだと思わないの?

しばらくぶりに夫と会ったとき、うきうきで近況を語った。わたしがいかに自己を律しているか、最後まで黙って聞いていた彼が、ひとこと言った。

「ナオちゃんさ、自分のことがかわいそうだと思わないの?」

びっくりした。

ひとを骨抜きにするコンテンツの溢れた現代で、自分との約束を守り、自律的な生活を送っていることを証明したのに、称賛されこそすれ、反論されるとは夢にも思わなかった。

ちょっと待ってよ。え? わたしは笑った。

じゃああなたは、わたしがスマホを買って、指紋がなくなるまでSNSをスクロールしまくって、YouTubeを次々に見まくるのが、わたしのほんとうの幸せだっていいたいの。

しゃべってるうち頬が熱くなって、最後らへんは言葉がつっかえた。

やっと自分の人生を取り戻したっていうのに、なぜわが夫が認めてくれないのか、ぜんぜん理解できなかった。

「そうは言ってない。ただ、そんなに我慢しなくてもいいんじゃないのってだけだよ」

我慢? 我慢なんかしてない。あなたはわたしを、なんにも理解してない。もう二度とあのときみたいになりたくない。わたしにはやんなくちゃいけないことが山ほどある。どうしてわかってくれないの……

「わかってるよ。だけど絶対見ないって決めなくてもさ、気晴らしにYouTube見るくらい、べつによくない?」

まったく承服しかねる提案だった。わたしの決意が浅いもの扱いされたことに、傷つきもした。

ところが後日、別件で悩みを相談した占い師さんから、夫と同じような指摘を受けてしまった。

『ナオさんは自分の気持ちを抑え込んでしまっている。まずは自分のことをちゃんと楽しませて、解放してあげることが大切』

自分を抑制しているつもりはなかったけれど、文章からでさえにじみ出ていたのだとしたら、あるいはそうなのかもしれない。
(というかこの返信内容に号泣したのだから、ちっとは心当たりがあったのだと思う)

そのようなわけで、ある夜、プロモーションビデオを1本だけ見る運びとなった。

100点中5億点

K-POPというもののおそろしさを、わたしはじゅうぶんに見知っているつもりだったし、敵のやりくちも熟知しているつもりだった。

もちろん、そんなもん何の役にも立たなかった。

じゅうぶん焦らされたあげくにさわられたら、だれだってそうなるみたいな威力でもって、プロモーションビデオは100点中5億点だった。

その場に崩れおちるくらい、すごかった。
腹の奥が焼け焦げる。心の臓が痛い。家の窓が、わたしの息で曇った。

思ったとおりだ。そのひとくちが豚のもと。
わたしはこうして、じわじわ豚になるのだ。

「ちょうどいい」は自由

と思ったら、自制心は揺るがなかった。一本見たら人生終わると思ってたけど、YouTubeを見まくるフェーズには突入しなかった。

自分にとって何が大事なのか、たぶん、もうわかってる。
無理に遠ざけなくても、自分との約束を反故にしてまで受動的に生きることはない。

この新しい気づきは、そこはかとない自信と安心を与えてくれた。

ただひとつ、変わったことがある。

寝る前に一本、プロモーションビデオを見るようになった。

これが、すっごく楽しい。

胸に降りつもるあれこれが一瞬で吹きとんで、多幸感に満たされる。
やっぱりK-POPはある意味で麻薬なのだ。

麻薬は用法・用量を守って正しくお使いするのが肝要である。麻薬は人生に大きなインパクトをもたらす。クスリにするか毒にするかは、受け手の選択に委ねられる。

わたしはむかし、麻薬の使いかたを間違えた。過剰に摂取したあげく、つねに欲しがるジャンキーになった。

二度とそうなりたくはないし、できるなら、だれにもそうなってほしくない。

楽しいと苦しいは紙一重だ。1ミリの苦しみもなく、よろこびで心を満たしたいなら、麻薬の適量を見定めるしかない。

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自分の「ちょうどいい」を知っておく。

無限に摂取できるいま世界で、自分の適量を知って、それを守ることが、能動的に生きるために欠かせない習慣となるのではないかと思う。

執着しない。くらべない。見逃したってかまわない。
わたしにちょうどいいペースと距離感で、好きになる。

マイペースに楽しむって、すごく自由だ。

 

 

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