君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

わたしがブログを続ける理由

なんのためにブログを書いてるんだろう。

ブログをはじめて以降、何度も考えてきました。

そのたびに答えを出して納得もしてきたけど、やっぱり考えてしまうのです。

* * *

この雑記ブログは二年目で、ずっとすき勝手に書いてます。

これまでいちども「書かなきゃ」「書けない」みたいな焦りを抱えたことはありません。

リアクションをモチベーションにすると即しんどくなる (どころか続けらんないと思う) から、「自分の気持ちを正直に書けたか」を指標にしています。

大事な場所ではあるけど、どちらかといえば気晴らしに近い。
友達以上、恋人未満。ブログとの距離は、うまくとれていると思います。

そんなおきらくブログでも、やっぱ考えちゃうのです。なんのために書いてるんだろうって。

* * *

今朝、雑記ノートに「わたしはわたしのことを知りたい」と書きました。「そのために書いている」と。

わたしのことを知りたい人はこの世にいません。

自分を知りたいだけなら、毎日書いてる雑記ノートでじゅうぶん。

自己矛盾に思えます。それならどうして文章をエディタに書いて、わざわざ公開ボタンを押すんだろう?

わからない。でも公開ボタンを押すと、ちょっとだけポジティブな気持ちになれるんです。

考えを書いて手放すって、それだけで癒される。救われる。自分にイエスを言えないほど落ち込んでいるときはとくに。

書くだけじゃなくて、「手放す」ってアクションがポイントで、いわば、いたらない文章をさらすことを自分に許すから、結果的にちょっとポジティブになれるんだと思います。

* * *

書くことで救われるときもあれば、書いて自己嫌悪におちいるときもあります。

内容というより、書いている瞬間の自分の性格が微妙にちがっているから、浮き沈みはしかたない。PMSもあるしね。

自分なりの考えをなんとか書いて、公開ボタンを押す。そこにどんな意味を持たせるかは人によるし、そのときの気分で変わもの。それでいいと思います。

もがいている自分を書くことで救って、公開ボタンを押すことで一瞬、承認する。

あんなもん書くんじゃなかったとか翌日に後悔するとしても、ボタンを押す瞬間は、まちがいなく自分を承認してる。

公開ボタンが自分への承認なのだとしたら、まずだいいちに、わたしは自分にイエスを言うためにブログを書いているのだと思います。

 

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