PMSのとき、なにが怖いって「ずっとこのままかもしれない」と感じることじゃないだろうか。
だいたい、いまの落ち込みが確実にPMSだという保証もない。ただひどく落ち込んでいるだけかもしれない。
もしこのまま、わけもなく落ち込んでるのがデフォルトになっちゃったら?
PMSになるたび、そんな自分を想像する。
そしてそれは、なにかのボタンを押すよりずっとかんたんに実現してしまいそうな気がする。
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いったんわけもなく落ち込むと、自分の書いた文章もいやになる。
ブログの下書きを書いても、気分がわるくなって捨ててしまう。
仕事にも集中できないし、相手の何気ない言葉尻が気にさわったりして、気がついたらため息ばっかついてる。
なにをしても気分が晴れない。心が重い。しばらくTwitterを開く心持ちにもなれなかった。
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お昼休憩ついでに散歩へ出かけたときのこと。
会社から歩いて5分の中規模程度の公園は、たいてい閑散としている。駅とは逆方向だから、うっかり社内のメンバーとすれ違うこともない。午前中に降った雨のせいで、この日は独り占め状態だった。
雨上がりの公園は、土の強い匂いがした。自然の中を黙って歩いているだけで、ネガティブな気分がフラットに戻っていくような感覚になる。
きらきら光るクローバーの水滴を観察したり、風の音を聞いたり、クスノキの苔にさわったりしているうち、重苦しい気持ちが少しずつはがれ落ちて、生き物としての力が戻ってくる。
なんとか心を満たそうとする自分にたいして、ポジティブな気持ちにもなれる。
もちろん、そんなのは一時しのぎにしかすぎない。だけどちょっとした気分転換をないがしろにしてたら、ますます深みにハマってしまう。
PMSはしんどい。ものすごくしんどい。
でも、そんな重苦しい数日間があるから、「ずっとこのままかもしれない」って不安になるから、とくべつ幸せとも呼べない小さな現象、たとえば光に透ける葉のうつくしさにさえ、びっくりするくらい感動できるのかもしれない。
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それから数日後、いきなり心が軽くなっているのに気づく。PMSが終わったって、わかる。この感覚は、回数を重ねるごとにはっきりとわかるようになった。
また次のPMSがやってきたら、「ずっとこのままかもしれない」って不安になる。で、フラットに戻る。そのくり返し。
PMSは女として生まれた副作用みたいなもので、太刀打ちできるレベルのものじゃない。ものすごくがんばって、一瞬フラットに戻るかどうかなのだ。くやしいけど。
PMSのあいだは、自分が本来どんな人間だったかも忘れる。
そう考えると、「わたし」なんてものは、ときと場合によってどんな人間にも変わっちゃう程度の「あやふやで、正体不明なもの」なのかもしれない。