君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

追憶のキャラメル・フラペチーノ | ヒロソロ2021@Zepp Tokyo 【追記編】

先日HIROのソロライブレポートをアップしたところ、「うけた」とのコメントを38000票 (見込み) いただきました。
ありがとうございました。

そんなつもりはみじんもなかったのですが、読み返してみると「見えた」しか書いてないじゃないかと。そのくせ肝心なことはなにひとつ書いてない。及び腰、逃げ、保身。ブログ書きとして、情けなさに泣けてきます。

ついては、具体的に書かなかった点を猛省し、あらためてどうだったのかの補足をさせていただきます。

前提:HIRO以外、見たくない

まず前提をすこし説明させてください。

わたしは男の肌をできるかぎり見たくないタイプです。
むかしK-POPのライブに行ったときも、なにかと脱ぎたがるメンバー (どのチームにも2、3人はいる) に目線をやらないようにしていました。

それなのになぜ、ことHIROにかぎって、これほどお肌の向こうを渇望するのか。

自分でもわけがわからないまま、まったくの無意識のうちに、シャツからこぼれるHIROの肌に刮目してしまうのです、いつも。

目撃できなかった要因と今後の対策

「残念ながら目撃できなかった」というお話も伺いました。これについては、おもに以下の要因が考えられます。

・ご開帳は1度のみ、わずか数秒だったから。
・目撃者は1曲まるまる「首から下」しか見てなかったから。

チャンスは1回のみ。かつ、わずか数秒のできごとでした。『Wish in the dark』は本編ラストの曲で、見えたのもほぼ最後らへん。そのままはけてしまったため、ワンチャンはなかったのです。

『Wish in the dark』中、わたしは「首から下」しか見ておりませんでした。ファンの風上にも置けないと承知しておりますが、自分をコントロールできなかった。なにもかもあの罪深いシャツとHIROの体のせいです。

この事件からわたしが得た教訓は「ボタンが4つ外れたら、その瞬間は訪れる」。

逆にいえば、3つのときは望みを持たない。どんなに見つめても何も見えません。
勝負は4つです。4つ外れたときにのみ、ぜひご刮目ください。

ささやかな考察と、ささやかな願い

先日のレポートに書けなかった、具体的なお話を簡単にさせてください。

人間という生き物は、何らかの能力によって、わずか数秒の記憶をスロー再生や静止画として脳に刻みつけることが可能で、丹念にくり返し思い返すことによって永久保存も可能になるわけで、それによる映像をどうにかして印刷できないかと調べたところ、Amazonではまだそのようなプリンターは販売されておらず、そのためこのような、いちじるしく正確性・伝達性に欠ける言葉という道具を使ってどうにか伝えるしかないわけですけれども、わたしが個人的にささやかに考察した結果、キャラメル・フラペチーノです。

目つぶしみたいな照明が当たっていたことを差し引くと、実際のカフェオレ部分はミルクがもうちょっと少なめかもしれません。でもミルクと砂糖は確実に入ってました。意外と甘めというか、もうちょっとビター感強いのかなって思ってたけど、そんなことないなっていう、ブルーマウンテンのライトローストとシナモンローストの中間といった感じで、手元のメモを見ますとですね、「キレイ!! (原文ママ)」ってありますので、ともかくそういう印象でまず間違いなかろうと存ずるところであります。

もちろんひとりじめしたいわけじゃない。ファンの人に見せたい、わかちあいたい、版画にしたい、彫刻にしたい。それなのになぜ、この令和の時代に脳内の映像をプリントできないのか、なぜわたしにUSBポートがついてないのかと憤りつつも、はたと気づくわけです。
カメラマン、いたじゃん。

感じるんです。さる画像データが、1秒20コマで切り取られたキャラメル・フラペチーノが、ネットの海に隠匿されていると。

大阪では見えなかったというご報告を頂戴しました。いや、何より同じ会場にいたにもかかわらず、見えなかった方も大勢いらっしゃるでしょう。その場にいた全員が、まるまる一曲ものあいだ、HIROの首から下をえぐるように見てたわけじゃないですから。

非圧縮の画像データをよこせとは申しません。
寝室の天井いちめんに引きのばして貼るつもりなど、これっぽちもありません。
画像データから色を抽出して、カラーコードを教えろとも言いません。
同じ色の飴とかキャラメルを、非公式にグッズ化するつもりはみじんもありません。

わたしの願いは、ほんのささやかなものなのです。
どうでしょう、ここはひとつ、会報に掲載するというのは。

アーティスト・イメージがくずれるのであれば、上澄みでいい。それもだめなら、予感だけでいい。そこにアレがたしかに存在しているという予感さえあれば、あとは脳内できっと補完可能であると、そんなふうに訴えたいのです。

マラカス半壊および全壊事件

とはいえ、こいつマジで何しにライブ行ったんだと思われるのはやはり心外でございまして、無欲の心を証明するためにも、アレ以外の事象も追記しておきたいと思います。

「マラカス半壊および全壊事件」は周知のとおりと存じます。鍛えあげられたHIROの上腕二頭筋によってマラカスの半分が壊れ、やがて全壊するという痛ましい事件。

でもね、一見、壊れてないように見えたんです。あるいは新しいのに持ち替えたのかと。

双眼鏡で確認したところ、HIROが歌いながらちらっとマラカスの状態を見ているのに気づきました。マラカス同士を当てるときには、とくにさりげなく。HIROは客席に向けて「壊れていない側」を常に見せていたのです。

半壊状態となって、なお見せかたに気を配るとは思いもしませんでした。

壊れちゃったんだからしょーがないじゃん、じゃない。とっさにベストの道をみつけて涼しい顔でパフォーマンスする。そんなプロ意識は、人生の半分ほどをアーティストとして生きる彼にとっては当たり前かもしれない。でも感激しちゃったのです、何か。

そして全壊にいたった瞬間の、ナチュラルすぎる苦笑い。HIROの素顔をかいま見た気がしました。

HIROのプロ意識、からの素顔的苦笑。このギャップ。燃えあがるガンダム。イエス!ナイスマラカス。

まとめ

「見たい」と思うと、ライブがそっちのけになる。顔を見るか胸を見るか、どちらかしか選べないのです。

でも、また見たいか? と聞かれたら、NOとはとても答えられません。それによって天罰がくだるとしても (なんでだか知らないけど左腕にあざができた、けっこうでかいやつ)。

なんでそんなに見たいのか。キャラメル・フラペチーノによって何が浄化されるのか。魂とは、癒やしとは何か。われわれはどこから来たのか。われわれはどこへ行くのか。

そんなことを考えながら、いつかの日に再会できることを、無欲無私の心で待ちたいと思います。

 

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