君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

海で心の洗濯。小さなことで悩んでしまう理由を考える

休暇中、あまりにもひまで海へ行った。

11時すぎの海は空いていた。家族連れが何組かいるだけで、浮かれたバナナボート・キッズは見かけなかった。

浜辺から離れた松林の下にすわり、キラキラ (というかギラギラ) 光る波間をぼおおおおおっと眺める。

海を眺めていると、心が落ち着く。海の近くで育ったからか、海へ行くだけで何か気のすむ感覚がある。
ふだんは遠く離れているから、よけいにそう感じる。海の近くに帰りたい。でもしょうがない。

それにつけてもひまだった。本でも持ってくればよかった。何を考えればいいのかわからないまま、いろいろなことを考えつづけた。

人生、仕事。ブログ、Twitter。やりたいこと、やらなくちゃいけないこと。
なんでこんな、小さなことで悩むんだろう、いまだに。解決したようで、してなくて、同じことで悩んで、自分がいやになる。どうして?

海を眺めているうち、ふと「来年も海が見られると思ってるからだ」と思った。

いつの間にか、ひどく楽観的になっている。来年も、十年後も、二十年後も、ひとまず海が見られると考えている。だからこんな、波にチラつく光みたいな悩みで頭をいっぱいにしている。

いつかの日に医師から決定的な検査結果を告げられたら、今抱えている悩みは悩みでなくなるのに……。

それなのに、人が悩まないような、ミクロすぎることでいちいちいちいち悩んでしまう。
幸せになりたいと願っているのに、日々せっせと悩みを抱え込もうとする。
なんで?

もしかしたら必要だから、なのかな。
わたしは間違ってしまうし、知らないうちに誰かを傷つけてしまう。
自分を点検・批判することで、よりよいものになろうとしてるのかもしれない。

自分に疑いの目を向けなくなったら、わたしはわたしでないものになる。
今の考えや価値観を守るより、よりよいものになりたい。そのために、無意識に悩むルートを選んでるんじゃないだろうか。

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瞬きするあいだに、海は表情を変える。風が吹いたり、船が通り過ぎたりすると、波はとりとめもなく形を変える。

そんなのを見てると、「ちょっとしたことで心は変わるんだし、変わっていいんだ」って素直に思える。

一貫性がなくていい。考えを守らなくていい。わたしは弱いだけじゃないし、強いだけでもない。そのときどきで、ちがう自分になっていい。

これからも小さなことで真剣に悩むし、傷つく。
そして悩みや傷をくぐり抜けて、よりよくなりたい。

なんてことを考えた夏の休暇でした。

 

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