朝のルーチンはきっちり決まっていて、平日も週末もまったく同じように過ごしています。金太郎飴みたいに。
ヨガの “木のポーズ” でぼーーっと空を眺めながら「ありがたいなぁ」ってつぶやくのも、何となく習慣に。
ありがたいなぁ。でも何が?
生きてること。痛いところがひとつもないこと。息苦しくなるような心配ごとがないこと。夏が来ること。
そして "ものを書くのが好きなこと"。
そんなふうに考えたのははじめてでした。
「好き、がありがたい……?」
何がありがたいのか、"木のポーズ" のまま考えました。
* * *
ものを書くのが好き。
そう気づいたのは人生の曲がり角 (富士スピードウェイでいうとダンロップコーナーあたり) だった。
正直「今さらかよ?」って感じだし、今でもたまにそう思う。
同年代で「書くのが好き」な人は、昔からちゃんと書き続けてる。何の下地も、積み上げもない人間が、今さら始めたってどうにもならない。
周回遅れどころの騒ぎじゃない。もうレース終わりますけどみたいなタイミングで、一台だけアウトラップでヨタヨタしてる。
まっすぐにも走らない。底が抜けるほどアクセルペダルを踏み込んだって周回遅れにされる。ピットからは怒鳴られる。
書けば書くほどそう感じる。意味ねぇなこれ、って。意味ないって思ったら、当然むなしくなる。
なのにやめられない。ちょっとでも時間ができると、万年筆掴んでノートを開いちゃう。意味なんかないのに。
なんでか?
意味とか意義以前に、生命維持活動に近いからだと思う。
そうだ。私は「書くこと」を見つけられたんだった。
予告なくポッと現れたものを、迷いながらもちゃんと掴んだ。
ひどい周回遅れで、これからどうにかなるものでないのに、耳元でああだこうだと罵倒しまくるピットの声をふりきって毎日書いてる。
見つけさせてくれたこと、掴ませてくれたこと、続けさせてくれていること。
その全部が奇跡的で、ありがたいんだ。
* * *
部屋に戻ったとき、心が無重力みたいに軽くなってました。
「ありがたいなぁ」で自己解決できるんだから、おめでたい単純野郎だと思う。
おめでたい単純野郎でよかった。
今はアウトラップ中。タイヤはまだグリップしないし、まっすぐにも走んない。でも燃料はフルタンク積んでる。
私は私で地道にやっていこう。ときどきこうしてスピンしながら。