君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

ネガティブなツイートから、マイペースとは何かを考えた

 先日、思いあまってネガティブなツイートを投稿してしまいました。

いただいたコメントに返信したり、会話していくなかで、気づきや新しい問いを得ました。

・ファン活動はマイペースでいい
・なぜマイペースでいられなかったのか
・マイペースとは何か
・マイペースでいるにはどうすればいいのか

これらの問題を、マイペースでいられない私がうんうんと考えてみました。

ネガティブなツイートの投稿

ある土曜日の夜。
大ちゃんがパーソナリティをつとめるラジオ「ネオエイジ・サーキット」放送後、私は冒頭のツイートをしました。

私はaccessの出戻りファンです。ネオはリアタイしていません (大ちゃんのアンチなわけではありません、念のため)。

ふだんネオの時間帯はTwitterを閉じて、平日にできないことをして過ごしています。

その日はたまたまTwitterを開いていました。
ネオ一色に染まっているタイムラインを見て、突然いたたまれない気持ちになった私は、冒頭のツイートを投稿しました。

このツイートに、いろんな方からはげましのリプライをいただきました。

ただはげまされただけでなく、これまで考えてこなかった「思考のクセ」「自分のパーソナリティ」について、内省を深めるきっかけとなりました。

あたたかいコメントを寄せてくださった方々のおかげです。その節はほんとうにありがとうございました。

なぜ「マイペースでいい」と思えなかったのか

ツイートにたいするコメントは一貫していました。

「マイペースでいいんだよ」

コメントを読んだとき、はっとしました。マイペースでいいと考えてこなかった自分にもおどろきました。

冷静に考えたら、しごく当たり前です。
それなのになぜ、マイペースでいいと思えなかったのか。

それは「思考のクセ」に根本的な問題があったから。
基本的な考え方が、そもそも「したい」じゃなくて「すべき」思考に偏っていたからです。

「ファンならリアタイするべき」
「ファンなら情報を集めるべき」
「ファンならグッズを買うべき」
「ファンならCDを全部聴くべき」……

仮に誰かがこれらを叶えられなかったとしても、わざわざ文句をつけたり、レッテルを貼りにくるひとはいません。

誰に言われたわけでもなく、暗黙のルールを感じ取ったわけでもない。

にもかかわらず、私は知らないうちに「ファンならこうするべき」=「ファンのあるべき姿」にとらわれていました。

彼女を罵倒するのは誰か

仮の話です。

Twitterで知り合って、仲良くなったひとがいるとします。
何ヶ月か経ったころ、彼女がそれほど積極的にファンとして活動をしていないと打ち明けたとします。

そのとき誰が、彼女を罵倒するでしょう。

私は誰にも言わないような言葉で、自分をずっと罵倒していました。それも無意識のうちに。

そんなことしなくていいって、今回の内省でようやく思えました。

「マイペース」とは何か

ありもしない「あるべき姿」にとらわれている状態。これはマイペースとは真逆のスタンスです。

とすればマイペースとは「すべき」の逆、「したい」思考。

「リアタイしたいときにリアタイする」
「知りたいことがあればググる
「買いたいグッズがあれば買う」
「聴きたいときにCDを聴く」

おどろかれるかもしれませんが……、こんな当たり前の思考を、私は持てていませんでした。
できない自分を責めて、自分のスタンスを否定的に感じていました。

自分の「したい」に耳をかたむけ、受け入れる。
マイペースとは「自分が心地よくある状態」だと理解しました。

マイペースをつづけるには

今回深掘りしていくなかで、私は自分の性質や、生まれつきのパーソナリティにも気づきました。

私は自分の気分に少し鈍感な部分があります。

どうしたいか、よりも「正しさ」「あるべき」を追求しがち。
自分の内側ではなく、外側にばかり耳をすませてしまう。
いちどマイナス方面に心がとらわれると、視野が狭くなり極端に悪い方へ考えてしまう。

このような性質を持ちつつマイペースな状態を保つには、単純に「マイペースでがんばろう」と決めても叶えられません。
それどころか、「マイペースでいられない自分」を責めかねない。

外側の刺激を受けやすい私が、マイペースでいるにはどうすればいいのか。
具体的な案を考えました。

1. どう感じているかに敏感になる

自分がどう感じているのかについて、もっと興味を持って観察する。

もしマイナスな感情が芽生えたら、どの部分にマイナス面を感じたかを、自分の中で言語化しておく。
そのうえで、マイナスになる原因からなるべく距離をとる。

自分が何に心地よく感じるのかを、ちゃんとわかっておく。

ずいぶん遠回りなようですが、この段階を踏まないかぎりマイペースではいられないと考えています。

2. マイペースなひとと対話する

私の夫は、私とは真逆のスタンスの持ち主です。

自分がこうと決めたことは、他人の意見が一切気にならない。
(高校時代好きだったTMNを、周りから「音楽じゃない」と馬鹿にされてもまったく気にならなかったそう)

マイペースのお手本のようなひとです。

そして私より10倍くらい忙しい妹も、マイペースなしっかりもの。私が悩みを打ち明けてもひとこと「ひまなん?」で終了。

SNSどころか、インターネットをほとんど使わないマイペースぶり。
私が「ちょw」とメッセージを送ると「wって何?」と聞いてくる始末 (令和の話)。

ふたりとも自分のペース、考え方を大事にしています。かつコミュニケーション能力が高く、人望も厚い。私もそうなりたい。

まったく違う性質の彼らと話していると、私の視野の狭さ、あるいはとらわれすぎている自分に気づきます。
対話、大事。


このふたつを心に留めて、焦らずにマイペースを獲得していきたいです。

ときにヘビーに、ときにライトに

YouTube見ない。リアタイしない。情報収集しない。タグで盛り上がれない。ブログにaccessのこと書かない。

こんなスタンスでいる私がファンと言っていいんだろうかと、ほんとうはずっと不安でした。

でも冒頭のツイートにいただいたコメントをきっかけに、考えが大きく変わりました。

私のスタンスが誰かにとって相容れないものであるなら、相手は自然と離れていくもの。
だけど「そんなあんたでも好きだよ」って言ってくれるひととは、つながっていられる。

今までみたいに、妙な申し訳なさを抱えているよりずっといいかなって思います。


あまりにも小さなパラダイムシフト。

だけどそれなしには、遠からず離脱していたかもしれません。

せっかく、25年越しに再会したのに。当時出会えなかった同士と、ようやく出会えたのに……。

ツイートした直後はすごく後悔したけど、今思えば逆に良いタイミングだったのかもしれません。


* * *


私だけがありえないほど特殊なのか、こんな思考でファンを続けている方がほかにいるかはわかりません。

でも私というサンプルが存在する以上、小さな苦しみを抱えているひとがどこかにいないとも限りません。

その方へのエールを込めて、最後に。
もし「ファンであること」に迷ったら、想像してみてください。

二人に向かってごめんねって言ったら、彼らは何て答えるだろうって。

だからきっと、大丈夫です。

ときにヘビーに、ときにライトに。
それぞれのペースで、それぞれのスタンスで、ファンを続けていきましょう!