君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ダークでメロウな彼女、その小さな棘

折にふれて訪れるブログがある。

更新頻度は極端に低い。一年に数回。一年で二回、なんて年もある。
それでも、年にいちどは必ず更新される。私は生きている、と何かに向かって証明するように。

運営者は年上の女性で、中国のある俳優に恋をしている。

中国人俳優にたいする彼女の愛は、十年以上つづいている。そして彼女は、私が十年前から訪問しているのを知らない。

* * *

ブログとの出会いは偶然だった。
十年ほど前、私は香港映画のアート性に魅了されていた。情報を求めて検索魔と化した結果、まだ開設されて日の浅い彼女のブログと出会ったのだった。

他のブログとは、明らかに雰囲気が違っていた。
淡々としていながら、どこか執念めいた文章。表面上は静かに語っているのに、ひと皮むいた中身は火傷しそうな愛だった。

彼女は新しい言葉や、いいかげんな言葉を使わない。言葉はつねに、注意深く選びぬかれている。彼女の文章は、自身の抱え込んだ何かをできるだけ正確に、丁寧に表現することのみに注力されている。

しろうとの文章ではない。かといって、物書きのたぐいでもなさそうである。彼女の職業はわからない。わかるのは彼への熱い恋心だけ。
私は中国人俳優について何も知らない。エントリのほとんどは意味が分からないし、とくに興味もない。興味があるのは、彼女の言葉づかいや、言葉に込められた熱だ。

繊細で、小難しくて、独特。彼女の文体は十年前からずっと変わらず、どこか危うい少女性を内包している。

実生活では慎重に隠されているはずの、彼女の少女性。彼女が臆面もなく、自身の少女性を開示するかぎり、私は彼女に恋をしつづける。

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あらゆる文章は、読者にフルコミットするべきとされている。
すごくわかる。世界の真理だ。

でも自分が読者にまわったとき、必ずしも「読者へのフルコミット感」を必要としているかというと、わからない。

壁に向かってつぶやいているみたいな、淡々と書かれた支離滅裂な文章だって嫌いじゃない。

答えもないし、出口もない。
書いてるうちに考え方が変わっちゃってたり、何なら破綻しているものだってある。
理路整然に、きちんとまとまったものだけが心を揺らすのではない。

「私」の中に隠された、ひそやかな少女性。言葉にくるまれた小さな棘。そんなものを見つけると、私はたまらない気持ちになる。


壁に向かって吐き出される、行き止まりみたいな「私」。

傷つきやすくて繊細で、ちょっとダークでメロウな「私」。


もしかしたら私は、彼女の棘に小さく傷つけられたいのかもしれない。