先日「Twitterのリプライっていろいろ考えちゃうね」というエントリを書きました。
今回は、前回のエントリをふまえて「感想リプはどう送るといいのか?」を考えてみました。
- 感想リプのハードルが高い理由
- 感想リプ、たったひとつのポイント
- 心が弱っているから、どんなリプでもめっちゃうれしい論
- 短くても、他のひとと同じでも、解釈違いでも
- 「好きだって伝えればよかった」と思う前に
感想リプのハードルが高い理由
タイムラインのツイートに送るリプより、「コンテンツ」に送る感想リプってハードルがめっちゃ高いですよね (私だけ?)。
「書き物が趣味」とか抜かしてる私ですが、感想リプはなかなか送れません。
なんでためらっちゃうんだろう。声をかけたら喜んでもらえるはずなのに。と思いながら、お得意の「開いて、書いて、消す」を繰り返しています。
これには二重の理由があるのではないかと思います。
第一はふつうのリプが送れない理由と同じです。
「誰でも言うような、ふつうのことしか言えない」
「こんな短いの、失礼かも」
「解釈が間違ってるかも」
「他の人は、もっとおもしろく返すのに」
「『いつも話しかけてくる』『うざい』って思われそう」
これらにくわえて、感想リプは「失礼があってはならない」みたいな、「しょうもねえこと送れねえぞ」みたいな緊張感を抱えてしまいがちです。
対象のアウトプットが力作であればあるほど、緊張する。
アウトプットの重みと同じだけの言葉なんて思いつかないんです。
ふつうのリプでさえヒイヒイ言ってるビビリが、こんな難しいこと考えながら正気で感想リプを送れるわけありません。
感想リプ、たったひとつのポイント
ここで発想を発信者側に切り替えてみます。
私の考える、感想リプのポイントはひとつです。
「クソリプじゃないこと」
ここで言うクソリプとは、「攻撃的」で「侮辱的」で「気分を害することを目的としたリプ」のことです。
えっ何言ってんの、当たり前じゃん……って思うかもしれません。
でも発信側の思う「うれしいリプ」のハードルは、実はめちゃくちゃ低いんです。
なぜか?
死ぬほど不安だから。
たった一言のリプに救われてしまうくらい、めちゃくちゃ繊細になってるからです。
心が弱っているから、どんなリプでもめっちゃうれしい論
アウトプットをタイムラインに流すのは、ものすごいエネルギーを使います。
一瞬死にそうになるくらい、すごくつらい。これはたぶん一生慣れないと思います。
タイムラインにアウトプットを流したら、私はすぐラップトップをばたんと閉めます。
こればかりはどうしようもない。心が風邪を引いたみたいな状態になっちゃうのです。
そんななか「良かったよ」って言ってもらえるのが、どれほどありがたいか。
心が弱っているから、肯定的なリプが心底うれしいんです。
短くても、他のひとと同じでも、解釈違いでも
「短い」→長さは関係ありません
「短いから失礼だ…」ってやめられるくらいなら、「イヤァァァァ短いまま送ってェェェ!!」って思います。
「他のひとと同じ」→受け手は同じと思わない
一字一句コピペするわけでないなら、「同じ」じゃないです。
気にしないでどんどん同じこと言っちゃいましょう。
「解釈違い」→あなたの解釈が聞きたい
アウトプットが創造的、クリエイティブなものであるほど、解釈は枝分かれします。
むしろ発信側は「自分の提示したものとは違う解釈」を聞きたいものだと思います。
(ちなみにこのエントリは「創造的なもの」ではありません。なぜなら読むひとによって違う解釈を与えてはいけないタイプのものだからです。もしも伝えきれていない場合は100パーセント文章の責任です)
なんどでも言います。
リプはどんなものでもめちゃくちゃうれしい。
短かろうが、かぶっていようが、どんな解釈だろうが……そこに「好き」があれば、リプはハグとなって相手をあたためます。
「好きだって伝えればよかった」と思う前に
今日と同じ明日がくるとはかぎりません。
あなたがこっそり想いをよせる彼女が、何らかの理由で予告なくTwitterを去るかもしれません。
そのとき「好きだって伝えればよかった」と後悔しないのであれば、このエントリは忘れてください。
でもそう思う相手がいるなら、1ミリでも愛を伝えたい相手がいるなら、たったいちどだけでも、ぜひ感想リプを送ってください。
どうか、ご自分の声を過小評価しないでください。
渾身の言葉でなくていいんです。
どこにでもある、ありふれたふつうの言葉でいい。
好きなひとに、自分の言葉で直接「好き」を伝えられる。
それがTwitterというプラットフォームです。
どんなにつたない言葉でも、愛はぜったいに伝わります。
あなたのあたたかい言葉で、ぜひリプを送ってみてください!