君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

元K-POPファンがK-POPに出戻ろうとした結果、25年ぶりにaccessに帰還した話〈前編〉

2020年8月、私はaccessに出戻った。
1995年の活動休止以来だから、じつに25年ぶりの"帰還"である。

ほんの少し前まで、よもや「accessに出戻る」なんて予感は1ミリもなかった。彼らが今もなお活動を続けていることも知らず、そもそもK-POPに出戻る気まんまんでいたからだ。

「元K-POPファンがK-POPに出戻ろうとしていたのに、なぜaccessを選んだのか」を、思いが新鮮なうちに語っておきたいと思う。


前提:私の音楽遍歴

  • 1993〜1994 「no access, no life」な中学時代 (活動休止後はnot access)
  • 〜2009 ロック大航海時代
  • 〜2015 心のスキマをK-POPが埋め時代
  • 2015〜 無の時代

〈前編〉[5年越し] K-POPに出戻れるか編

1. ライブDVDのポテンシャル

2020年5月。緊急事態宣言にともない、勤務先がリモートワークへ移行した。通勤がなくなりラクになったものの、在宅時間が増えたら増えたで今まで目につかなかった部屋の乱れが気にかかる。このようにして、私はなるべくして「断捨離魔」と化していった。

その日もステイホーム週末とあって、真っ昼間から元気に捨てまくっていた。断捨離はいったん弾みがつくと、何でもかんでも捨てまくるフロー状態に突入する。断捨離も佳境に入り"思い出編"に着手しはじめていた私は、まず過去のスナップ写真をすべて捨てた (かように断捨離はワイルドになっていく)。
次いで「昔好きだったK-POPグループのライブDVD」を手にすると、ためらいなくゴミ箱に捨てた。
それからしばらく断捨離を断行しているうち、ふいに罪悪感のようなものが胸をよぎった。ライブDVDを捨てたことが、何か大切な"思い"まで安易にゴミ箱に捨ててしまったような、薄情きわまりない行為に思われたのだ。
最後にもう一回だけ観よう。DVDにも、過去の思い出にも供養が必要だ。私はゴミ箱からDVDを拾い上げ、ディスクをデッキに入れた。
これがすべての始まりだった。

K-POPを好きだったのは5年も前だ。もはや何の興味も、未練もない。当時デビュー間もなかった彼らが、あれから兵役に行ったのかも知らない。興味がないから、昔のDVDにもぜんぜん期待していなかった。
そんなクールな心持ちに反して、DVDが再生された瞬間オープニングから懐かしさが爆発。気分が一気に高揚した。
うろ覚えの掛け声を言ってみたり、断捨離を忘れてワインを開けちゃったりなんかして「あ〜このときみんなカッコよかったな〜」とか何とかキャッキャ言いながら、結局6時間ぶっ通しで観てしまった。

エンドロールが流れるころ、私は自分のある変化に気がついた。常日頃ためこんでいた、正体不明の心のモヤモヤがすっかり消えていたのだ。断捨離しても、お酒で紛らわそうとしても、海外ドラマを何時間観ても消えなかった、あの重苦しいモヤモヤが。
「ライブDVDは最高のストレス解消になる」そう仮説を立てた私は、彼らの次なるDVDを買い求めた。断捨離のつもりが逆に増える結果となったが、本当にライブDVDがこの慢性病に効くのか試してみたくなったのだ。

2. 出戻りのランウェイ

次なるDVDも、想像していた以上に良かった。かつ、仮説通りあのモヤモヤも見事打ち砕かれた。間違いない。ライブDVDはめちゃくちゃ楽しい。これほど即効性のある"癒し"はなかなかないかもしれない。

DVD付属の小さな写真集を眺めながら、私は5年前の悲喜こもごもを思い浮かべていた。このDVDは間違いなく彼らの頂点であり、若さと輝きに満ちた過去の栄光だ。
毎回チケット争奪戦を繰り広げたファンも、メンバーが年を重ねて兵役へ旅立つたびに少しずつ霧散しただろう。全K-POPグループの宿命であるそんな現実が、何だか急に不憫に感じられた。

YouTubeで今の彼らを検索する。彼らのバラエティ力は磨きがかかっていて、どの動画も爆笑させてくれた。ライブは口パクだし、他グループにくらべて実力は一段落ちる。一部のプロフェッショナル性の欠損に嫌気が差して離脱したのに、今ならそれも許容できる気がした。
私ももう若くはない。ここら辺で、頂点を過ぎた彼らに添い遂げるのも悪くないかもしれない。

それはことに素晴らしいひらめきのように思われた。K-POPに出戻るのは運命、出戻りのランウェイを私は歩いている   時間が経つごとに、固くそう信じるようになった。

誰のファンでもない、フリーの5年間はたしかに穏やかな日々ではあった。チケット争奪戦に苦しむ必要も、追いつけないほどの大量な情報に疲弊する必要もない。しかし同時に、好きな人の不在はどことなく空虚でもあった。今度は遠くで見守る程度のスタンスで出戻ろう、私はそう心に決めた。
彼らの持ち味であるバラエティ力は期待以上だった。次は最新曲をチェックすれば出戻り完了だ。前向きな期待を膨らませて、私は彼らの最新アルバムをSpotifyで探し、再生した。このアルバムの再生が出戻りのトリガーになると信じ切っていた私の頭に、ドーム級の「?」が点灯した。
何、これ?
キャッチーさを廃した、いまどきのオシャレ路線。代わり映えのない曲。突出した実力を持たない彼らの、唯一の武器だった独自性がどこにもない。オシャレだか何だか知らないけどまったくピンとこない。というか1ミリも心に響かない。アルバム再生中に心電図検査を受けていたら、瀬戸内海よりも穏やかな波形が描き出されていただろう。私の期待したのはこんなのじゃない。

それでも私は自分の直観を信じなかった。長い間真剣に音楽と向き合ってこなかったくせに、相応に金のかかったK-POPグループの最新アルバムに対し「しょーもない」などと断ずる資格があるはずもない。
心に響かないのは鈍化した感受性に問題があると結論づけ、「私の感受性が正当な価値を受け取れないせいだ。このアルバムには価値があるはず」と悲しい納得を試み始めた。何回か聞いていればきっといい曲だと思える。感覚を麻痺させてでも、私は出戻るべきと本気で考えていた。

落胆のファーストインプレッション以降、私は出戻りへの地道な努力を重ねた。最新アルバムだけでなく、この5年間にリリースされた彼らの楽曲をすべて聞いた。それらが一つも心に響かないと分かると、今度はBTSをはじめとする最先端のK-POP楽曲を聞くようになった。落ち着きなく曲を次々と飛ばしまくったけれど、ピンとくる曲には一つとして巡り会えなかった。

何か、K-POP全体の傾向が変わってしまったように感じられた。私が好きだった頃はエレクトロポップの最終形態みたいな尖った曲が多かったし、各グループが独自路線を展開していたように思う。BTSの例を出すまでもなく、K-POPは世界展開が前提だ。成功例にならうのは、そのための戦略なのも理解できる。だけど何もみんな同じ方向に走らなくてもいいじゃないか。

好きになりたいのに、心に響かないことが辛い。何より自分の感受性が死んでしまったように思われて、絶望的な気持ちになった。

そして同時に芽生えた「好きになるのに努力は必要なのか」という小さな疑問に、自分なりの答えが出せないでいた。
頭は出戻るべしと言っている。でも心がそっぽを向いている。好きになる努力とかじゃなくて、抗いようもない衝動に、心は鷲掴みにされたがっている。雷に打たれるみたいに、突然恋におちるみたいに。

葛藤しながらも牛歩のように、私は少しずつK-POPへ出戻り始めていた。私の脳内には、まだaccessのアの字も発生していない。運命はいつも唐突に訪れる。偶然を装って。

3. 25年越しの再会

2020年7月。休日の昼下がりにTwitterを眺めていたら、「TM NETWORK」のキーワードがトレンド入りしているのが目に飛び込んできた。何とTMの過去ライブ映像が、まさに今YouTubeで配信されているという (※「TM NETWORK 12時間生配信」)。

小学生時代にTMが大好きだった私は速攻で視聴開始。中〜高校時代にリアルタイムでドハマリしていた夫も加わり、二人で大盛り上がり。当時の小室さんがどれほど素晴らしかったかを熱心に語る夫に耳を傾け、「全部名曲」と深く頷きあう。やっぱりライブDVDは最高に楽しいと確信したところへ、夫が画面を指さして言った。

「これ大ちゃんだよ」

画面には若き日の"大ちゃん"が控えめに映っていた。権利の問題かアップにはならないけど、彼の姿を見間違えるはずはない。私の人生を変えた"浅倉大介"その人だ。何十年ぶりかに見る大ちゃんの姿に、懐かしくて切なくて胸がキュンとする。
「小室さんが前に出たら、大ちゃんここに入るよ」「今ベース弾いてる」「EOS DAYで生大ちゃん見た」「俺にとって大ちゃんはEOSのお兄さんだから」「俺が最初に買ったシンセB500」さりげなくマウントを取ってくる夫に生返事を返しながら大ちゃんを見つめているうち、はっとある考えが浮かんだ。

そうだ、access
accessのライブDVDが観たい、めっちゃ観たい!!

当時accessは、シングルを出すたび私の期待値を遥かに超える楽曲を発表し続けていた。こんな怪物みたいなアーティストが同時代に存在していたこと自体が奇跡だ。私のすべてだったaccess。そうだ、あそこまで深く何かを好きになったのは結局、後にも先にも彼らだけだった。

Amazonの検索結果に、私は一瞬目を疑った。
何ということでしょう。当時のライブがブルーレイで蘇るという、それも10日後に。なんという偶然、なんという運命。コンマ2秒で予約し、「俺accessの昔のシングルとアルバム、全部初日に買った」「大ちゃんとHIROのソロアルバムとシングル持ってる」となおもマウントを取ってくる夫を無視してaccessに思いを馳せる (どちらも初めて知ったけどそれどころじゃなかった)。
K-POPも、TMNのライブDVDも楽しかった。accessはそれ以上に楽しいはず。発売日が待ち遠しいなんて、こんな気持ちはいつ以来だろう?

しかし私は気づいていなかった。
これが、もう後戻りできない分岐ポイントであったことを。



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