君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

書くことに疑問を持ったときの救急箱

先月から、毎日こつこつと文章を書いている。
書くことはとても楽しくて、たぶん一種のセラピーになっているのだと思う。

その一方で「一体何やってるんだろう」という虚しさを感じる時もある。
そんな時、糸井さんの「インターネット的」を読んで気持ちが救われた。

いま思っていることは、新鮮なうちに、いま言ってしまわないと、ほとんどが消えてしまうのです。その程度のことで消えてしまうようなものはたいしたものじゃない、という言い方もできるのですが、試しに語ってみる、とりあえず始めてみることによって、アイデアやクリエイティブは膨らんだり転がったりして、大きな何かに化ける可能性があるのです。

糸井重里「インターネット的」


「いま思っていることは、新鮮なうちに、いま言ってしまわないと、ほとんどが消えてしまう」「試しに語ってみる、とりあえず始めてみる」
この二つの言葉は、書くことへの勇気につながった。

「こんなことやっても意味ないんじゃないか」的虚しさはたぶん、何をしていても感じてしまうだろう。
そんな時は、先人の言葉に励ましてもらおうと思う。


書くことは、ほとんど必ず落胆を伴う(仕様だと思っていいくらいだ)。 どれだけ書き手として長いキャリアを積んでも、どこまでも付き合っていくしかない宿痾のようなものだ。 とりわけ書き始めてまだ日が浅い人たちが(いつかスラスラとすばらしい文章が書けるかもしれないと信じたい人たちが)、打ちのめされるとしても不思議ではない。 

「自分の書く文章は価値がない」を抜け出すライティング・マラソンという方法←自己検閲を振り切って書きなぐるために 読書猿Classic: between / beyond readers https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-685.html


拙(まず)く書けてはじめて考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。 書かなければ何も解らぬから書くのである。

小林秀雄「文学と自分」


自分がバカであろうと、非力であろうと、それがオレだ、そういう自分全体に責任をもって、堂々と押し出す。それがプライドだ。他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。

岡本太郎「自分の中に毒を持て」